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それは、北海道の北炭夕張炭鉱の爆発事故のこと。
ご存知ない方の為に、説明を少し。。。
北炭夕張炭鉱事故について
北炭夕張炭鉱の夕張新鉱で、1981年10月16日、メタンガスが突出する事故が発生し、作業員救出のために救助隊が坑内に入った直後、充満したガスに引火して火災が発生した。坑内の火勢が強くなり、救助隊にまで二次災害が及ぶようになって、手がつけられなくなった。火災を止めるためには、火災現場に大量の水を入れて鎮火させる以外にない。しかし、そのためには坑口を閉じる必要があり、酸素の供給も止まるため、坑内に生存者がいたとしてもそれは死を意味することになる。坑内にまだ生存者がいるかもしれない状態での坑内注水に対しては作業員の家族から反対の声が上がったが、北炭の林千明社長は、ついに家族の反対を押し切って注水に踏み切った。これにより、最終的に93人が死亡する大惨事となった。林社長はのちに手首を切って自殺を図り、一命をとりとめたものの入院先の病院から失踪した。
トラックバックさせていただいた夜伽草子さまの記事より引用させていただきました。
私の出身中学の鑑賞教室(当時)に、
黒崎何某さんと言うフォークシンガーの人がいらっしゃったことがある。
黒崎何某氏は、この夕張炭鉱の爆発事故で、亡くなった、
紅葉山小学校5年のこっちゃんのお父さんの歌を歌った。
当時から(?)私は割と頭脳描写の得意な子供であり、
小説等の場面を頭の中に映像として描く事が出来た。
なので、黒崎何某氏が、この歌を歌う前に事故の説明をした瞬間から、
もう、本当に怖くて怖くて。
今では事故や人の生き死に関しては罰当たりな発言を繰り返しては
怖いもの知らずとして通している私にも、そう言う時代があったのかと思えて不思議でならない。
そんな少女時代の純粋さと、事故の状況をまた頭で描いては、
何だか複雑な気持ちになっているところである。